草祭
梅の花が咲いている。愈々もって鬱陶しい季節だ。おっと、梅の花に申し訳ないな。鬱陶しいことと梅の花とは関係がない。海の向こうから飛んできたものが問題なのだ。鬱陶しい時には本の紹介でもしよう。原稿の校正は後回し。「邪魅の雫」(京極夏彦著、2006年9月26日第一刷発行、講談社NOVELS)の中で、中禅寺が書評について語り、「まあ-最初のは粗筋を書いたりするだけの紹介記事だね。こりゃ評でも何でもないから、読み書きが出来れば犬にでも書ける」なんて言っている。私の場合は、粗筋もないので、犬以外の何者かだったりする訳だが、一体何だろう。惹き付けられるからといって、「美奥」に現れる不可思議なものとは違う。
恒川光太郎氏の「草祭」(2008年11月20日発行、新潮社)は、「美奥」を舞台とした物語。トロッコ列車の走る場所。遠くで春祭りの太鼓の音が聞こえ、庭の残り雪も消え、梅が咲いている。はたして現実なのか。水路を行くと文明世界は忽然と消えて野原が広がり、屋根の上を獅子舞が通り過ぎ、線路を行くと天化の宿やら幻の世界が待っている。そこにいるのはけものなのか怪なのか、はたまた人の存念か。全ては美しい山奥の「くさのゆめものがたり」なのかもしれない。「夜市」とはまた違った幻想の中に誘い込まれる。
宇月原晴明氏の「安徳天皇漂海記」(2009年1月25日初版発行、中公文庫)の中に、「現とも夢とも知らぬ世にしあればありとてありと頼むべき身か」(源実朝)と云う歌が出ていた。同じく実朝に「世の中にかしこきこともはかなきことも思ひしとけば夢にぞありける」と云う歌もある。だからなんだと言われても困るのだが、何となく連想するのでありました。なお、実朝永訣の歌は「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春をわするな」だそうだ。
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