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宮城谷昌光 三国志第五巻

「秋吹くは いかなる色の 風ならば 身にしむばかり あはれなるらん」(和泉式部)などと詠いたいところであるが、都心ではまだこのような感じではない。雨も降り出しそうだ。何処か紅葉の美しいところにでも行きたいものだ。結局のところ、少々息抜きとか言いながら、「三国志第五巻」の紹介なんぞ書くのであった。淡々とした宮城谷氏の描写によって、却って三国志の興奮が身にしみ、戦場の風の色が目に浮かぶ。

宮城谷昌光氏の「三国志第五巻」(文藝春秋、平成十八年九月三十日第一刷)は、愈々、官渡の戦いに至る。「邪穢なものは、とりのぞくにかぎる」として、曹操は戦っている。その間、献帝は洛陽に帰還し、そして、曹操も洛陽に入った。「運の強い者同志がおなじ月日をすごすようになると、どうなるのか」。多くの者が三国志の舞台から消えていく。曹操の長男、曹昂。失意のなか病死した袁術。「亡を推せ」との戦略によって呂布の春秋は竟わった。陳宮、高順。あの公孫瓉も袁紹によってその生を断つ。そして、すでに南方の覇者であった孫策。二十六歳という若さであった。

Miyagidani01_3さて、曹操と袁紹は官渡にて対峙する。吉川英治氏の三国志では「溯巻く黄河」であった。袁紹の大敗。最高の謀臣といわれた沮授、田豊にも悲運がおとずれた。袁紹の息子である袁尚を冀州で、袁譚を青洲で破り、袁紹の根拠地を手中に納めた曹操。残るは荊州の劉表、劉表に身を寄せた劉備、孫策が印綬を佩びさせた孫権となった。話は赤壁の戦いへと、どう動いていくのか。曹操にとっての四知とは「何が正義であるか、天知る、地知る、神知る、我知る」であった。

ところで、劉備と関羽の別れと再会について、吉川英治氏と宮城谷昌光氏の描き方にはかなり違いがある。面白い。

<参考>
三国志第一巻
三国志第二巻
三国志第三巻
三国志第四巻

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