転落の歴史に何を見るか
■斎藤健氏の「転落の歴史に何を見るか」(ちくま新書、2002年3月20日第1刷発行)
衆院千葉7区補欠選挙は、自民党の斎藤健氏と民主党の太田和美氏との一騎打ちと言われている。しかし、各メディアは自民党の小泉首相と民主党の小沢新代表の党首対決に注目するばかりである。本来は候補者の人となりをよく見る必要があるのだが、なかなかそうはいかない。判断材料の一つとして、斎藤氏の本を紹介しておこう。
この本の副題は「奉天会戦からノモンハン事件へ」。彼がまだ官僚の時に書いたものである。前書きに「戦前の日本社会は、方向感が激しく動揺した。案の定、日々の事務的な決断も迷走を重ねた。組織に属する人間は、このようなとき、もし自分をごまかさないのであれば、方向感と日々の事務的決断との葛藤に神経をすり減らすこととなる」と書いてある。
自ら葛藤に苦しんだ末に、彼は二つの観点を行き来しながら本書をまとめたようである。一つは「現在の方向性を過去の歴史を探ることによってとらえること」。もう一つは「方向感が動揺したときに、どのように組織なり、社会なり、そして自己をもコントロールしてゆくべきか」ということである。根底には「自らをごまかさない」という視点があったようだ。
おわりに際し『歴史家でもない自分が、何に注意しなければならないのかという今後の判断材料とするために、この「転落の歴史」について自分なりに整理しておきたかったのである。なぜこの人たちが犠牲になったのか。それをつかまなければ申し訳ない。この思いが、恥も省みず、進まない筆をかろうじて最後まで動かし続けさせる原動力となった』と書いている。
本人も書いているが、官僚、しかも大臣秘書官も務めたエリート官僚が、この手の本を書くのは非常に難しい。それだからこそ却って、彼の本質がこの本に色濃く出ているのではないだろうか。候補者としての彼を考察するには欠かせない本であろう。内容については敢て書かない。どう評価するかは読まれた方それぞれである。「日本人は残念なことに、大きな目で日本全体の幸福とか、いま現在を判断しない」(司馬遼太郎氏、アルヴィン・D・クックス氏との対談での発言の一部、本書より)と云うことにならないようにしたいものだ。
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Comments
や!珍しく政治のお話ですか!とリベラル左派にしてナチュラル・ボーン・売国奴なオレがまぜっかえしにきました。
( ̄▽ ̄)
>しかし、各メディアは自民党の小泉首相と民主党の小沢新代表の党首対決に注目するばかりである。
これは両党首脳部の思惑にずっぽりはまってるのでしょうか?わざわざ突っ込みやすいネタまで提供してるようです。
http://www.zakzak.co.jp/top/2006_04/t2006041827.html
武部さんすごいなあ。おかげで体感温度どころか気温も下がって、まだうちの近所の桜は咲きません(爆)。あてにならない予報では月末頃咲くとか。
お山と呼ばれる桜の名所では一応咲き始めてはいるようですよー。なんかオレ本当に秘境に住んでるような気がしてきました。ところで、木曜日頃?まさか朝日酒造に「久保田」買いにいらっしゃるんですくゎ!?
Posted by: koolpaw | Apr 18, 2006 21:34
koolpawさん、おはようございます。
いやはや武部氏には参りますねぇ。久保田を買いに行くのが目的ではないのですが、新潟に行けば、当然ながら何か買わなくちゃ(笑)。桜はもう少し後ですね。dより
Posted by: dawn | Apr 19, 2006 08:10