「神狩り」
■山田正紀氏の「神狩り」(ハヤカワ文庫、1976年11月30日発行、2002年7月15日十刷)
仕事もしたくないので、本屋へ行った。そこで、山田正紀氏の「神狩り2 リッパー」(徳間書店)を見つけた。作家生活30周年記念作品だそうだ。早速に購入したのはいいが、困った。Jinさんに戴いた本のなかに、山田正紀氏の「神狩り」があったんだ。難しいテーマであり、過去の作品でもあったので感想を書いてないぞ。これで、30年を経て書かれた本だけ感想を書いちゃ不味かろう。読む前から心配していては、楽しく読めないじゃないか。と云う訳で、急遽、「神狩り」の感想を書くことにした(仕事からの逃避ではない、笑)。「神」について、このような踏み込んだ書き方をしたSFはあまりないだろう(どうだろうか?Jinさん)。
まずもって、この本は難しい。「<古代文字>には、二つの論理記号しかない-ただそれだけなのだから」だって、論理学、私の最も不得意とするところだ(私は感情の動物、笑)。確か通常の記号体系への翻訳分析に用いられるsymbolic logicでは[if...then、or、and、not]に対応する4個が採用されていたような、でも真理関数的型式では[and、not]の二つの記号だけですませていたような、う~、もう忘れた(駄目だ、頭が痛くなる。花粉症のせいじゃないな)。
しかもだ、「ぼくがやろうとしているのは、元が集合を語ること」、あ~、これってJacques DerridaがDe la grammatologie(「グラマトロジーについて」)で書いている「超越論的な<意味されるもの>の不在は戯れと呼ぶことができようが、この不在は戯れの無際限化であって、つまり存在論=神学と形而上学との動揺である。」に繋がりそう。SFではUrsula K.Le Guinが「闇の左手」で「因果は存在しない、なんとなれば万物は時の芯にあるからであります」なんて訳解らないこと書いているのにも近い。
まァ、難しいことは、この辺にしてッと。この話は、情報工学の若き天才学者である島津圭助が古代文字の解読を進めるうちに、どうも人間に対して「悪意を持っている」神の存在を感じ、それとの戦いを決意するまでの物語である。続編が必ずや出ているのだろうと思っていたが、それが30年後だったとはびっくりである。
「人間への悪意」と云う意味では、Margaret Mayo再話「世界のはじまり」と云う絵本に、『「人間が神とならぶようになれば、われわれをたたえたりうやまったりしなくなる」ウルアカンはかんがえこみ、「人間の目をくもらせなければならない」といいました。』を思い出すが、「神狩り」にはそんなユーモラスな雰囲気はない。「神狩り2 リッパー」が楽しみである。「神狩り」を読んでなければ、「神狩り2 リッパー」は買ってなかっただろう。Jinさんに感謝。
ところで、本書の中に「…挫折した革命家たちが、よく君のような口ぶりをする。わけ知りの妙にシニックぶった口ぶりを。…」と云うところがある。「神」の力には勝てないと思ったがために、「神」と戦う人々を妨害する霊能者に対する言葉である。どこかのマスメディアに贈って上げたい言葉だ。
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Comments
うーん。 そもそもdawnさんが山田正紀さんとめぐりあっていなかったということが結構不思議だったりするわけですが・・。 日本SF界であれだけインパクトのあるデビューをした人というのもいないですからね。神関連で言えば、ト学会会長の方で有名になってしまった山本さんのこの2,3年の小説もその辺のテーマです。日本人には「幼年期の終わり」は書けないけど、「神狩り」は日本人にしかかけないでしょうね。
Posted by: Jin | Apr 18, 2005 at 00:24
Jinさん、おはようございます。
そうですね。日本人にしか書けないでしょうね。巡り合わないときは巡り合わないものなんですよ。どんなデビューだったか知らないので、その時丁度、私は文化の果てる海の向こうにいたような(笑)。dより
Posted by: dawn | Apr 18, 2005 at 06:12