陳舜臣氏「桃源郷」
■陳舜臣氏の「桃源郷」上・下(集英社文庫)、2004年12月20日第一刷
締め切りに追われていた(締め切りの過ぎた、笑)仕事も漸く終えた。この数週間、小説の感想を書く暇もなかった。朝日新聞が筒井康隆氏の「断筆宣言事件」で酷いことをしていたのに今頃気付いたのが1月20日。それ以来、マスメディアに対するコメントばかり書いていた。
陳舜臣氏の「桃源郷」を読むと、そんな話はどうでもよくなる。
「願わくは言に軽風を躡み
高挙(高く舞い上がり)吾が契(約束の土地)を尋ねん」
陶羽が白中岳と契丹の析津府を立ったのは、宋の宣和二年(1120年)。耶律大石に西へと派遣されたのである。「ターザワーレド」(新人)として多くのラフィーク(友人)と出会う。サブズは言う「人間は誰でも自由人だと思っていても、よくよく考えると、誰もがマムルークであり、ジャーリヤであるのじゃ。…」。アレッポのザンギーは言う「…わしもあこがれたよ。自由人にな。それからつぎにあこがれたのは、自分で自分がわからない人間だな。……このなかではターザワーレドが一時期そうじゃったが」。なお、ザンギーの軍団長アイユーブは、定金伸治氏の「ジハード」に登場するサラディン(十字軍からエルサレムを回復)の父である。
陶羽は旅を続ける。コルドバ、トレド、大理、杭州へと、また内面へと。一方、金の完顔阿骨打に滅ぼされた契丹の遼を出て西に向かった耶律大石はカラ・キタイ(西遼)を建国、サマルカンドまで西征した。両者がベラサグンで再会したのは、その耶律大石が息を引き取る直前(1143年)であった。(同姓の「耶律楚材」(集英社)は大石の死後四十七年に生まれた。)
耶律大石はハイヤームの新作の四行詩を吟じた。
「われら亡きあとも世界は永くつづく
われらの名も生きた証もないままに
われらのいなかった昔と秩序は同じ
われらの死後もすべては変わりない」
陶羽はサフィエと共に海へ行く。泉久号や大順号に乗った思い出は、忘れることはできない。希望を追いかけて。人はいつも、仲間を、そして理想を追い求める旅の途中か。石川文洋氏の「人生は夢と冒険」「楽しきかな旅と酒の人生」と云う言葉(「石川文洋のカメラマン人生」より)を思い出す。私もウイスキーの中に異国の空と多くの人々の夢をみる。
「誰が死の幕のむこうの道を見ただろうか
誰が神の秘密を知ることができたのか
七十二の歳月 夜に昼に私は熟考し
解けなかったが 私の物語は語り尽きない」
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Comments
小島愛一郎です。
先ほどは、コメントありがとうございました。
本件と直接、関連性の無いコメントですが、
いつもながら本当に読書というのは素晴らしいと思います。
私の場合、小学生で布団に隠れて懐中電灯で照らしながら
「西遊記」の分厚いのを読んでしまい、目が悪くなりました。
でも、それより本は得ることが多いと思います。
そして、若かりし頃、読んだ本を、この年齢になって
また読み返すと、また違った感動が蘇ります。
では、ちょっと寒空の下へ行ってまいります。
Posted by: 小島愛一郎 | Feb 10, 2005 at 17:18
小島さん、コメント有難うございます。
まだ本調子ではないご様子、無理をされないようにして下さいね。dawnより
Posted by: Dawn | Feb 10, 2005 at 18:09