「ブラック・ハウス」
祭りの音、ざわめきが消え、町はいつもの顔に戻る。仄かに赤い旦那衆が大祭のしるしを剥がしている。昨日までの熱気を今は蒸し暑さに感じる。訪れる人々は変わらない。記念館は何処にあるのですか。今日はお休みじゃなかったかな。でもいいや、記念館はいつものようにそこにある。この暑さは嫌だ。そんな顔で歩く犬。道はいつもと変わらない。日が変わり日々の生活は変わらない(Spephen King は「ドリームキャッチャー」のなかで「DDSS」と言ったっけ)。
スティーブン・キングの「ブラック・ハウス」(Title:BLACK HOUSE Auther:Stephen King & Peter Straub 新潮文庫)。そのような何事もない日々のなかに身を潜めた邪悪な家。密かに爪を伸ばし近づいてくる。いずれ人々を奈落の底へ誘おうと日常の歯車を少しずつ狂わせる。この数年前の物語を思い出したのは祭りの後だからか。
Stephen King は日常から狂気への重要な舞台廻しとして「祭り」を使うことがある。古来日本では「祭り」を日常性と非日常性とを繋ぎ精神的均衡性を保持させる道具として利用する。今回のプロ野球のストが「祭り」で終わらないようにしないと、祭りのあとは冷めた日常が待っていないとも限らない。もしかすると本物の邪悪が潜んでいるかもしれない。我が身可愛さの誘導を行う新聞や根拠のない数字を一人歩きさせるようなメディアは厳に注意しなければなるまい。【追記:「祭り」に鉦や太鼓、お囃子はつきもの】
話を戻すと、Stephen Kingのものでは、最近 「ザ・スタンド」(Title:THE STAND Auther:Stephen King 深町眞理子訳、文春文庫)の文庫版も出ている。言うまでもないことだが、ダーク・ファンタジーの巨匠と呼ぶに相応しい作品が多い。
矢野浩三郎訳
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